クラフトインターネットだってさ
私は2回、家を失っている。
いや、震災に遭ったわけではない。でもまあ、ある意味それに近いのかもしれない。だってこちらの事情に関係なく、一方的にその場が無くなってしまうんだから。まるで天災のようだ、と言っても間違いとは言えないだろう。ホームページサービスの終了というのはそういうことだ。
最近多くの人が感じていたことをいい感じに言葉にした人がいたみたい。クラフトインターネット。なるほどわかる。なにしろこのサイトはそういう気持ちで作られたのだし。コンセプトとまで言うのははばかられるけれど。
私はいわゆるインターネット黎明期の住人ではなく、学生の頃、2005年くらいからやっと自分のパソコンを持ってインターネットの各サービスを触り始めた世代の人間だった。あの頃はメールの仕組みもよくわからず(いちおう技術・家庭や情報の授業で聞いてはいたはずだけど)、とりあえず使わせてくれるらしいから使おう、という感じでYahooメールとかを使っていた。大学のパソコンでも自宅のパソコンでも使えるし、携帯でもいちおう見れたというのが大きかった。ローカルにメールのデータを保存しとくのってアホじゃないかな?って当時から思ってたけど、まあ、いろんなものがどこからでもブラウザ上で使えるような未来が来るんだろうな、とは思っていた。
その後、プラットフォーマーによる寡占を心配する声が大きくなっていったと思うけど、とはいえ単に便利なサービスが多くの人に使われるならいいんじゃない?くらいに思っていた。別に嫌なら使わないだけだし。どこで広告を見るかの違いくらいだろう、と。
たぶん私が初めていわゆる「インターネット上のコミュニケーションプラットフォーム」を意識したのはブログサービスだったと思う。当時、オタク旅行とかの記録・発信をしたかったので、いくつかのブログサービスを見てみて、はてなダイアリーを選んだ。いちばんデザインが押し付けがましくなかったのが理由だったと思う。あと、ホームページのサービスとして、インフォシークを選んだ。理由は覚えていないけど、ファイルアップロードがやりやすかったとか、そういう理由な気がする。
その後、これらのサービスのお陰で、私は最も敬愛するオタクの先輩方と巡り会って日本中を旅することになったり、また、ホームページに作った絵本ライクなギャラリーサイトのおかげで職を得たりとかする事になった。はてなダイアリーやインフォシークがなにかプラットフォームとしてやってくれたわけではないけど、普通に感謝している。
だが… サービス終了してしまったんだよねええええええええええええええええええええ
ぼくの絵本サイト返してえええええええええええ
つまりそういうことである。いやまあ事前に告知は出ていたのだから移せばいいんだけど、当時はよくわからないからと放置をしていて、いつの間にか、ね?
人に与えてもらった場というものは、人の都合でかんたんに奪われてしまう。そんな当たり前のことを学んだのが、私のこの2つの喪失だった。
話を戻して…
インターネットのプラットフォームの危険性、みたいなものは、実際は大きく2つだと思っている。
①広告モデルのトラフィックを稼ぐために、ユーザの基本的な欲望を超えて拡大しようとする性質があること(アテンションエコノミーの側面)
②サービス提供者の都合で利用者が制限される性質があること(言論の自由の側面)
どちらについてもみなさんがそれなりに言語化してくれているので、あらためてどうこう言うつもりはあまりないのだけど、ひとつだけ。
言論の自由は、当たり前じゃない。
言論の自由は、無料じゃない。
人間の権利は、誰かのなにかの労力によって、一時的に作られているものだ。
言論の自由は、我々の不断の努力によって維持しなければならない。
言論の自由というのは、基本的に、与えられるものではなく、築くものなんだ。
だから、誰かが作ったプラットフォームは、その誰かの気が変わらない限りにおいてしか自由はない。とはいえ、ある程度のコントロールができるのなら、そのプラットフォームをなんとかみんなで運営するのももちろん一つの方法だ。
でももうひとつできることは、あなたが自由を打ち立て、維持することだ。
私はやってみている。いま。